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スロバキアワインについての小話

【1】スロバキアワインの始まり

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スロバキア地域におけるワイン造りの歴史の始まりは、2000年以上も前にさかのぼります。 紀元前6・7世紀には、ケルト人によってワインが生産され、高級品として北部地域に輸出されていたことが現在までに判明しています。

人口:540万人 人口密度:111人/km2

日本の人口密度の336.22人/km2と比べると、イメージがしやすいかもしれません。 多くの美しい古城、雄大な山々、見渡す限りの牧草地帯、牧歌的な草原、素朴で小さな村や町が多く点在しています。
国土には山と森林が多く1/3以上を占めます。しかし、山間部では高度が上がる程雨量が多くなるため、決して広くはない国土面積の中で、ブドウ栽培ができる場所はさらに限られています。

【2】激動をくぐって

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(※ ↑写真:1849年設立の「スロバキアワイン生産者協会」のシンボルとワインを貯蔵していた壷。共に銅製)

どの地域においても言えることですが、ワイン造りの歴史は、その国の歴史ひいては文化に密接に関連します。
その点で、特にスロバキアは非常に複雑でシビアな歴史を辿っています。

現在の「スロバキア共和国」という国が誕生したのは、ほんの20年程前。 時代時代で統治する民族や帝国が目まぐるしく取って代わってきたその歴史は、戦争・侵略、分離・併合、独立運動・民衆蜂起などの連続でした。

第一次世界大戦が終結し、オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊後、チェコスロバキアとして独立。第二次世界大戦後、チェコ=スロバキア共和国に共産党政権が成立します。

一方、ワイン造りに関しては、他民族の侵略、19世紀後半の世界的なブドウ樹病害などにより盛衰を繰り返しながらも、西側の醸造技術を取り入れつつ、優れたワインを生産していました。19世紀後半には、スロバキア産のワインは日本やトルコ、ブラジルやベルギーなどの各国の統治者に愛飲される程で、また、かの有名なタイタニック号で乗客たちに供されていました。

しかし、上述の共産主義時代に入ると、大きなワイナリーは国に統制され大量生産に舵を切ったことで質を落とし、一方で多くの家族経営による小さなワイナリーの畑からはブドウ樹が次々と引き抜かれ、地域の伝統は奪われていきました。
1989年の共産党政権の解体後、チェコとの連邦を解消し1993年に「スロバキア共和国」が誕生。
失われたワイン造りの、先祖が紡いできた伝統を復活させようという生産者たちが動き始め、同時に、量より質へとワイン造りも転換していき、今日に至ります。

フランスやイタリアを始めとした西側の有名ワイン生産国に比べ、スロバキアワインの名前が日本に聞こえてこなかった要因は、少ない生産量もさることながら、以上のような歴史にあるのかもしれません。

【3】スロバキアのワイン産地

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どの国においても、その国のワイン産地について把握するには、まず大まかな地理をイメ ージできるようにすることが近道となります。

スロバキアのワイン産地に関しては、6つの「地区」があり、それぞれの地区に固有の土壌気候、それらに合わせた品種、そして各地の文化が、スロバキアワインに幅と奥行きを与えています。

スロバキアは、時に「ヨーロッパワイン産地のミニチュア」と称されます。
狭い国土の中で、世界中で栽培される国際品種だけでなく、中央ヨーロッパでしか見られない品種、スロバキア固有の土着品種、スロバキアで独自の交配品種などが栽培されており、そのバラエティには目を見張るものがあります。

※ ↑主な黒ブドウ品種

※ ↑主な白ブドウ品種